癌体験談:「乳癌を乗り越えた私の選択」

離婚後、10歳の双子の母として、一家の担い手として時間に追われる日々。
      そして、突然の乳癌宣告。

第1回 乳癌の宣告

私の右胸に癌が見つかったのは、12年前、健康管理士として 仕事し始めてから3年目、桜のつぼみは少しずつふくらんでいるのに厚手のコートが手放せないような、まだ肌寒い春先のことでした。

今では成人した双子の息子たちも当時はまだ10歳、やんちゃ盛りでいたずらばっかり、それでいながらまだまだ母親に甘えたがる年頃でした。
「女手一人で二人の子供を立派に育ててみせる」
母親だけでなく、父親役もこなしてみせる、そんな気負いからか、 その頃、私はがむしゃらに働いていました。
ときには、仕事の都合で息子たちとの約束を守れないときも・・・。
寂しい思いをさせたことも一度や二度ではありませんでした。

母子家庭ということで子供に不自由な思いをさせたくない。
資格を生かし働いて、もっともっと生活を安定させなくては。
精神的にはりつめていたんでしょうね。今、健康管理士の目で客観的に見ますと、少しずつ積み重ねなっていったストレスやプレッシャーやら、体が悲鳴をあげるのは当然のような状況であったんですが、気力だけで突っ走っていたといいますか、健康のことについて人にアドバイスする立場にいながら、肝心の自分の体の変調に気づけなかった・・・、というより自分だけは大病しない、自分だけは健康であって当たり前だったのです。
他人の健康について日常意識しているくせに、自分の健康にはきちんと目を向ける余裕すら持てなかったのです。

限界をこえて空気をつめこんだ風船がいつかぱんと音をたてて割れるように、私の体も壊れてしまいました。
乳癌検診を受けたのはたまたま近所に検診車がまわってきたからだったのですが、病院で再検査を言い渡されても、もともと乳腺炎がありましたので、しこりも痛みもそのせいだろうとたかをくくっていました。

宣告を受けた時のことは、正直あまり覚えていないんですよ。
主治医を前に、診察室の小さな丸いすに座って一人、検査結果を聞きました。
気がつくと、涙が一筋頬を伝って流れていました。
あとからあとからとめどなく流れ落ちるような種類の涙ではありませんでした。 声も出ませんでした。
その時、 自分が『泣いていること』にすら思い至らなかったようにも思えます。 ただ一筋だけ、涙が頬を流れていくのがわかりました。
それから、主治医がどんな表情でどのようなことをいい、それに私が何と答えたのかも詳細には覚えてはおりません。

何故か、癌告知のことで、強烈な記憶として一番に蘇ってくるのは、あの時、すーっと一筋、頬を伝わって消えていった涙の感覚ですね。